★ 陽の国と華の国★


作:狂犬チワワ



 華の国と呼ばれる場所がある。
 古い時代から存在している地で、たくさんの文化にも恵まれている。
中でも食文化は有名で、宮廷料理、市民の料理、どちらも色濃く、そして世界に広まっている。
 古い書物や日記も存在し、人々の心の移り変わり、侵略や内乱、政治、他国との交流など、
そういった歴史が記されている。
それらを積み重ね、そして学んできたからこそ、「華」の国と名付けられたのである。
 『華の道』と呼ばれる場所があり、
そこは辺りが花で覆われた場所に歩道が存在している場所である。
年に1度、選ばれた数名の男女の組がその場所を通ることを許される。
その道を通ることは名誉なことであり、これからの国を作る人材としてみんなに賑わされる。
 なぜその道が『華の道』と呼ばれているかというと、
昔華の国に純粋に人が好きだった少女がいた。
少女は花が大好きだった。自分の名前にも使われていた花が大好きだった。
少女は人に自分が好きな花を与え、
花を通じてみんなを互いに好きになってもらいたいと考えていた。
そんなときに争いが起こった。少女は悲しんだ。
どうして争わなければいけないのか。少女には分からなかった。
少女は傷ついた人たちに花を与えた。
人を憎む心を捨て、人を愛する心を得て欲しいと願って。
しかし、少女も傷ついた。それでも少女は人々に花を与え続けた。
みんなに笑顔を持って欲しいことだけを祈って。
やがて少女は息絶えた。
しかし、少女が死んだときに争いは治まった。
少女が死んでしまったことにみんなは嘆いた。
少女を殺してしまったとみんなは悲しんだ。
人々は、少女が愛していた花畑を『華の道』と名付け、そこに少女の遺体を埋め、奉った。
 人を愛することを、常に忘れてはいけない。だから、人々は『華』という言葉をよく使う。

 陽の国と呼ばれる場所がある。
 華の国より移り住んだ者たちが住む地とされ、
肌の色も顔立ちも華の国と似ている人たちがたくさんいる。
しかし文化は華の国とは違う文化が形成されていた。
 華の国ほど古い書物は存在しないが、歴史はある。
離れているからこそ、別れているからこそ、
そして華の国と接触がなかったからこそ思想も文化も華の国と違う物が創られていった。
しかし接触がなかった国は華の国だけではなかった。
他の国とも接触がなかった。
それが長い間続いたため、周りの技術や文化がどのようなものかほとんど知らなかった。
 陽の国は、他国と様々な物が遅れていた。
通信技術、政治、衣類、娯楽など。
他国との交流を疎かにしていたせいでもあったが、
陽の国はそれに気づいたとき、早く追いつこうと技術が進んだ強い他国の真似を始めた。
そして、自分たちはここまであなた達に追いついていますとアピールして、
交流を図ったのである。
 いきなり広がった視野に困惑しながらも、陽の国は強硬な国家を形成していった。
軍もその頃に作られた。『富国強兵』が国のスローガンとなった。
やがて、簡単に他国の物を手に入れるために戦争も始めるようになった。
身内同士でのいがみ合いはしていたが、国でのいがみ合いはしたことがなかった。
 周りの国々は、徐々に力を蓄えていく陽の国を恐れ、陽の国に武力の制限をするようにした。
しかし陽の国はそのことに大変不満を感じ、
やがて陽の国自身が世界に戦争を起こすようになった。
 まずその標的になったのが、華の国である。

気がつけば、陽の国は軍事技術も通信技術も、航海技術も運搬技術も、
全てが世界に追いついていた。
華の国も、それなりの高い技術は持ち合わせていたが、
不意打ちを受けては高い技術も意味がない。
 華の国も陽の国も、徴兵制度は存在する。
一度は兵士としても訓練を受けることが国の義務であり、大人の仲間入りの条件でもあった。
 しかし華の国にとって兵は志願するものであり、絶対ではない。
だから華の国の徴兵制度は簡単な実習のようなもので、
基礎体力をつけるための練習は厳しいが、身体の随まで叩き込まれるような訓練はしない。
 一方、陽の国は徹底的なまでの軍事訓練を施していた。全国民に徴兵制度が施される。
世界に戦争を起こす数年前からは特に徴兵制度が厳しくなり、
『御国のため』と称してあらゆる戦闘技術を教え込んだ。
武器を使った戦い方から、素手での戦闘方法まで。
 ある年の夏、華の国で陽の国との戦闘が開始されたとき、華の国は対応に追われていた。
 陽の国は華の国から徐々に他国を侵略するのが目的だったため、
大量の兵士が一度に送り込まれた。
宣戦布告はしたが、それは侵略する一日前で、
それに対処できたのはほんの一部の人たちだけだった。
残った人たちは、陽の国の攻撃の犠牲となっていった。
 特に南の都は酷かった。
陽の国ははじめから軍隊が手薄だったそこを占領することを目的としていた。
あっという間に占領し、大量の食糧などの物資を入手できた。
 だが、陽の国の軍隊はただ南の都を占領するだけにとどまらなかった。
 まず、刃向かう物を全て殺した。女子供関係なく。
 方法は様々だった。銃殺、刺殺はよくあることだった。
油を身体にまいて、焼き殺したこともあったり、車で引きずって殺したこともあった。
高いところから突き落としたり、毒ガスで殺したり、首を切り落としたり。
集団リンチをしたり、石を投げたり、池に沈めたり、生き埋めにしたり。
そうやって殺されていった。
 男のほとんどは銃殺だった。
それはただ狙い撃ちするのではなく、一種の的として撃ち殺すものだった。
 1人を野に放ち、逃げまとう男を兵士たちが追いかける。
足下に向かって撃ったり、腕や脚を狙ってわざと殺さなかった。
やがて男が力つきて逃げることを諦めると、
兵士は男の頭か心臓に向かって一発の銃弾を撃ち込む。
男は数度痙攣をして、撃たれたところからトロリと血を流し、そのまま動かなくなる。
男はそのままのに放置される。死体の中には3重の円が胸に描かれていた者もいた。
 女は兵士たちの慰み者になっていった。
兵士から見て老いた人たちは死刑の対象になり、若い者たちが陽の国の兵士たちによって、
大切な純血を無惨に奪われていった。
年齢は多くて30を過ぎた者で、若い者はまだ年齢が二桁になったばかりの者だった。
 男たちはただ犯した。女たちは泣いた。叫んだ。恨み言を言った。睨んだ。助けを乞いた。
しかし言葉が通じないために想いすら届かず、印象を悪くされた者はその場で暴行を受け、
酷いときには処刑の対象になった。
 やがて彼女たちの目から光が失われ、何をやってもうんともすんとも言わなくなったら、
ガス室か焼却場に送り込まれ、まとめて殺される。
 農業で栄えていた南の都は、絶望という名の風が流れる地へと、人間の死体の廃棄場と、
その姿を著しく変えたのだった。
『華』という言葉など、その地では淡い希望を語るための物でしかなかった。

 ク・オーレンという少女がいた。華の国の出身であり、
まだ生まれて12の年と3の月を過ぎたばかりの、陽の国によって捕虜とされた少女がいた。
しかし捕虜という言葉は陽の国側が使っている言葉であり、
実質的には犠牲者という言葉に差し替えられても不思議でない。
兵士にしてみれば、玩具の方が妥当か。
それほど捕虜とされた女性たちは屈辱と恥辱にまみれた行為を受けたのだ。
 彼女には妹がいた。チャオ・オーレンという名で、まだ10の年も生きてはいない。
 2人ともまだ、身体的にも肉体的にも幼い。
しかしそんな少女たちも、陽の国の兵士たちによって玩具の対象となっていた。
 しかし、2人はまだその対象になっておらず、
他人の行為も彼女たちに直接見せられることはなかった。
 行為は、兵士によって選ばれた者たちが別室に連れて行かれ、そこで行われる。
痛みを含んだ叫び声が、
薬によるものか何度も行為が行われることによって心が壊されたことで
生み出された淫らな喘ぎ声が、兵士が満足するまで続く。
それまで捕虜たちはその声をいつまでも聞くことになる。
それを聞き続けたことで精神が不安定になった者も数多くいた。
拒食症になり、餓死した者も現れた。
 そして行為を受けた女性たちが部屋から帰ってくると、
汗の臭いに混じって男の臭いも部屋に充満した。
 目をつぶっても耳をふさいでも鼻をつまんでも、どれか1つをやめれば再び現実に戻される。
クはそれが嫌だった。
いっそ死のうかと考えたこともあったが、チャオを見てそれは思いとどまった。
チャオを残して死んでは生けない。そう考えたために。
 ある時、陽の国の兵士はいつものように女性を選び、部屋から出ていく。
その時チャオは何気なく、兵士たちが出ていったドアを軽く押した。
すると、キィ、と音を立ててドアは開いていった。
いつもは鍵がかかっているため、そうなることはないが、
その日は偶然鍵を閉め忘れていたのだ。
 チャオをが部屋から出てしまったため、クは慌てて後を追った。
 クたちが監禁されていた場所。
それは街の一軒家だった。そこに十何人という女性たちを強引に閉じこめていたのだ。
 つまり今、チャオとクは街の外にいるのだ。
 見つかれば兵士に何をされるか分からない。
しかし運が良かったのか、見回りの兵が何処にも居ない。
みんな別室の行為に及んでいるのか、別の土地に派遣されたのか分からないが。
 クはその時、逃げることを考えた。
しかし、そのことが知られたら間違いなく陽の国の兵士に殺されるだろう。
でも、チャオにあんな目に遭わせたくない。これ以上、彼女に苦痛を感じさせたくない。
 クはチャオの腕を引っ張って逃げ出した。
 夜が明けたとき、
陽の国の兵士たちは女性たちが監禁されている家のドアが開いていることに気がついた。
そのうち逃亡を図った何人かは、兵士に見つかり次第射殺された。

 クとチャオは、監禁されていた場所から歩いておよそ2時間、
陽の国によって廃墟となった村にやってきた。
 崩れた家々。生きる力を失った木々。空薬莢。欠けた煉瓦。
そして陽の国の兵士たちによって殺された人たちが無造作に転がっていた。
いくつかの死体は腐敗が始まっており、その臭いをかぎつけて蝿がたかっている。
 生きている人の気配はない。埃と湿気を含んだ風が肌に触れる。
出っ張った石や、木や陶器の破片に気を付けながら2人は道を進んだ。
 ふたりはほとんど壊されていない家を見つけ、そこで雨風をしのぐことにした。
長居は出来ないが、一時の休憩場所にはいいだろう。クはそう思った。
 土埃はあったが、それ以外に目立った汚れはなかった。
都合がいいことに毛布は2つあり、ほとんど汚れていない。
外で叩いて埃を出し、掛け布団として使うことにした。
さらに家の中に井戸があり、水も入っている。
水を汲み上げてみると、透き通っていて、とてもおいしそうだった。
だがクはそれを直接飲もうとせず、近くにあった布をよく洗い、
それで水を一度こして、それから飲むことにした。
わずかながら、汚れがあったからである。
湯で飲みたかったが、火をつける材料がなかったため断念した。
 食糧はなかった。他の家も回ったが、小麦粉1袋も木の実1つも見つからなかった。
街から少し出て、どこかに食べられそうな物がないか探し回ったが、見つかることはなかった。
畑はあったが、食材は1つも余っていなかった。
 夜になると、不気味な雰囲気が漂っていた。
2人とも外に出ることはなかったが、
それでも誰かが外をうろついているような気配がしてならなかった。
恨みのような、悲しみのような、憎しみのような、しかし肌寒いと感じる、
やりきれない思いが空気に乗って感じられる。
呻き声でも聞こえてきたら、とてもでないが寝ることなど出来なかっただろう。
クはチャオの身体を抱きしめながら毛布を被り、夜を明かした。

 クとチャオのように、監禁されていた場所から逃げ出した女がいた。
 しかし逃げ出した方向は陽の国の兵士たちが駐留している場所で、
気づいた頃には銃を持った陽の国の兵士たちに追われる立場となっていた。
 兵士に弄ばれ、
全身の筋肉が上手く働かないようになってしまった体を一生懸命に使って逃げる。
女は持てる力を振り絞って逃げているのだが、
端から見ればその姿は、子供に振り回された人形のようだった。
 追ってくる兵士は2人だった。左頬にうっすらと傷を負った兵士と、
ガムをかんでいる兵士だ。
 出っ張った石につまづき、倒れる。
必死に立ち上がろうとするが脚に力が入らず、なかなか立てない。
その間に、兵士たちとの距離はドンドン縮まっていく。
 と、女の目の前に誰かがいる気配を感じ、顔を上げる。
 女が顔を上げるとそこに1人の男がいた。
真夏だというのに分厚いロングコートを羽織っていて、襟は首を隠している。
足下は靴しか見えない。
 男は女の顔を見下ろしていた。
「お、お願い、助けて!!」
 女は懇願する。顔は恐怖で歪んでいて、それだけで不気味さを感じてしまう。
だが男は顔色1つ変えず、女の話を聞いていた。
「つ、捕まったら、殺されてしまう!!」
 手を伸ばし、男の足首をつかもうとする。
すると、男は一歩後ろに下がった。女は男の足首をつかむことは出来なくなった。
「助けて!!助けて!!」
 手を伸ばし、女は必死に男に懇願する。だが男はただ女を見下ろしているだけだった。
 やがて兵士が追いつき、女を拘束する。
『面倒かけさせやがって!!』
『勝手に逃げるんじゃねぇ!!』
「きゃああああ!!!!」
 兵士たちは勝手な言い分を吐き、女を乱暴に引っ張っていく。
『おい、お前。見かけない顔だが、何処の所属だ?』
 左頬に傷を負った兵士が目の前の男に気づき、尋ねる。
たまに兵士の服装をしていない兵隊がいるため、今回もそう思って兵士は尋ねた。
しかし男は答えない。
『おい、どうした。答えろ』
 ガムをかんでいる兵士が尋ねる。しかし男は答えない。
『お前、陽の国の兵士なのか?』
 傷を負った兵士が不審に思い、男に近づく。すると、
『お前は、何のために女を連れて行く?』
 男が喋った。
『は?』
 兵士は男が何を言いたいのか分からず、思わず足を止めてしまう。
『何のために女を連れて行くと言っているんだ』
『何のためって、俺たちは脱走兵を追いかけただけだ。
で、逃げたこいつをもう一度監禁するんだ』
 と、ガムをかんでいる兵士が女の髪を引っ張りながら言う。
「い、痛いっ!!!」
 女の悲痛も、言葉が通じないために兵士には伝わらない。
 実際は、2人とも女がこれからどうなるか知っている。
殺されるのだ。
任務上、何処にスパイがいるのか分からない上に、
華の国の兵士たちは陽の国の兵士とほとんど見分けがつかないため、
こう言うように決められている。
逆らったことが分かったら、その兵士はよくて左遷、最悪の場合は死刑である。
『で、お前は陽の国の兵士なのか?』
 頬に傷を負った兵士が再度尋ねる。
『兵士ではない』
『じゃあ、華の国の兵士なのか?』
『兵士ではないと言ったんだ』
『じゃあ、何なんだ』
 ガムをかんでいる兵士は、だんだんと苛つく感じを堪えながら尋ねる。
『旅人だ』
『は?』
『旅人だ。ここに来たのも、ほんの偶然だ』
『……た、旅人?ふざけるな!!陽の国の言葉が通じるくせに!!
貴様、兵士の任を捨てて逃亡を企てた民兵だな!!
今ならまだ間に合う!!もう一度兵士として国のために働け!!
出なければここでお前を殺すことになるぞ!!』
 傷を負った兵士の声が大きく響き渡る。
 陽の国の兵士は、元々軍で働いていた軍兵と、体力測定と健康診断の結果、
選ばれた国民、通称民兵がいる。
 女を追ってきた2人の兵士は軍兵である。2人は、男が民兵であると思ったのだ。
『さあ、もう一度貴様を教育し直してやる!!覚悟しろ!!』
 傷を負った兵士が怒鳴りながらゆっくりと男に近づく。
『その必要はない』
 パンッッ!!!!
 乾いた音が辺りに響き、すぐに虚空に消える。
 男はいつの間にか小型銃を持っていて、
それを発射したのだ。それは男に向かって叫んでいた、
傷を負った兵士に銃口が向いていて、そこから一発の銃弾が打ち出され、
額に当たり、前頭葉に軽くめり込み、勢いは完全に殺される。
しかしそこからうっすらと血が流れ、兵士は何も言うこともなくその場に倒れ
、痙攣して、目がだんだん濁って、
パクパクと動かしていた口がそのまま開いた状態になり、やがて全てが動かなくなった。
『…………!!!』
 絶命するまでを見ていた、ガムをかんでいた兵士が、
ようやく相手が武器を持っていることに気づき、
腰に下げてあった護身用の銃を取り出し、男に銃口を向けた。
 その時に、兵士は額に冷たい感触があることに気づく。
 パンッッ!!!!
 それが銃であることに、撃たれた後に気づき、
頬に傷を負った兵士のようにやがて考えることも出来なくなった。
「…………あ」
 数分後、兵士が撃たれている様をただ見ていた女が、事態の変化に気づき、
「ありがとうございます!!」
 男に礼を言った。
「このご恩は一生忘れません!!ありがとうございます!!」
 男は追われていたときのように女を見下ろしていた。
「ありがとうございます!!ありがとうございます!!」
 そう言いながら、「物」となった兵士の身体をゴソゴソと漁り、
携帯食料と銃を取り出した。
「おかげで、逃げ延びることが出来そうです!!」
 次に、男に銃口を向けた。
「あなたが万が一、兵士に告げ口をされたら困ります!!だから、死んでください!!」
 そう言い、人差し指に力を入れて引き金を、
 パンッッ!!!!
 引くほんの手前、喉元に空洞が出来、
そこからはじめはタラタラと、その後ダラダラと血が流れ始め、女はその場に倒れた。
 男は兵士の身体を調べ、中身の入った薬莢だけを取り出し、コートのポケットにしまう。
 3つの遺体をそのままにして、男はその場を立ち去った。

 クとチャオが目を覚ますと、空気が湿っていることに気づく。
 外を見ると雨が降っていた。強く降ってはいなかったが、
外を歩いていれば確実に服はびしょ濡れになるだろう。それほどの勢いだった。
 2人がいる家に傘はない。
もしかするとどこかの家に傘が残っているかもしれない。
しかしその傘が使えるかどうかは分からないし、探している間に身体は濡れてしまう。
仕方なくその日は外に出ることを断念した。
 クは雨が受け取れそうな容器を探した。雨を飲み水にしようと思ったからである。
井戸水がどれほどあるかは分からないし、飲める水は少しでも多い方がいい。
それにクはともかくチャオには、井戸から水を汲むだけでも重労働である。
だから少しでも疲れないように、雨を集めようと容器を探している。
 だが、容器はなかなか見つからない。
皿はあるが、それで集められるのは大した量ではないし、
水を集められる容器も底が抜けている物ばかりだった。
 結局集められた容器は、皿が8枚、茶碗が3つ、花瓶が1つだった。
 埃や土で汚れているので、まず雨でそれらを全て洗い、それから外に置いて雨を集めた。
十数分経っても集められた量は大したものではなかったが、2人はそれを飲んだ。
食べ物がないため、水しか身体に取り入れられる物がなかった。
空腹は感じていたのだが、チャオが何も言わなかったために、クも何も言わなかった。
 雨は、日が暮れても止むことはなかった。

クが目を覚ます。雨は降っていない。
外を見る。曇っていたが、雨が降る様子はない。空気も湿っていない。
 チャオが起きると、クは水を用意した。
2人とも2日間何も食べていない。飢えはあったが、
渇きがなかったために何とか生きる希望はあった。
 2人は水をたっぷり飲み、外に出た。
今いる村を出て、別の地に移動するためである。何処に陽の国の兵士がいるか分からない。
しかしいつまでもここにいては、いずれ飢えによって死んでしまうし、
兵士に見つかってしまうかも知れない。
危険だが、移動した方が生きられるとクは思った。
 クはチャオにそのことを話した。チャオは賛同してくれた。
 陽が昇り始めた時間帯。2人はすでに村をあとにしていた。
 いつの間にか雲はなくなり、ジリジリと太陽の光と熱が2人を襲う。
 2人は、寝泊まりしていた家にあった布を頭に被り、歩いていた。
 太陽が中央に昇り、影が何処にも伸びていない時間帯。2人は歩いていた。
 辺りには乾燥した草と枯れた木々が転がっている荒野しか見えない。
人家はおろか、雨除け、日除けとなりそうな場所すらない。
風は埃を含んでいて、チャオは風が吹くたびにゴシゴシと目を擦った。
 辺りが紅く染まりつつある時間帯。2人は歩いていた。
 空腹が、2人の身体を重く感じさせる。
2日も何も食べていないと、眠くもないのに目を閉じた方が楽に感じてしまう。
 周りの風景は全く変わっていない。
陽が当たったことによってジンジンと痛みだしている腕や首もとをおさえながらも
歩き続けていた。
 と、チャオが石につまずいてその場に転がった。
 クは駆け寄り、無事か確認する。特に何処か擦りむいたということはなかった。
 クは埃で汚れたチャオの顔を、頭に巻いていた布で拭いた。
 チャオが立ち上がり、クもそれに倣うように立ち上がった。
 と、いきなり影が2人を追おう。影が差した方向を向くと、目の前に1人の男がいた。

暑いというのに、首が襟で隠れてしまっている分厚いコートを着ている、
黒髪の男がクとチャオの前に立っていた。
 男は、2人を見下ろしていた。背は男のほうが高いので自然にそうなってしまうのだが、
男は自分が偉い立場の人間だと言わんばかりの風貌で立っていた。
 クは、チャオを抱きしめていた。
きっと、陽の国の人間なのだろう。
どうせ私たちに酷いことをするつもりなのだろう。そう自分の中で思った。
「どっかいけ!!」
 突然、チャオが大声で男に向かって叫んだ。
「チャ、チャオ!!」
 クは大慌てでチャオの口元を抑えた。しかしチャオは抵抗して、
「お前たちのせいで、みんな酷い目にあったんだ!!」
 叫び続ける。
 クは何とかチャオを静めたが、その時には彼女の顔色は青かった。
 悪口を言ったことに気づかれたのではないだろうか。
もしそう思ったら、チャオはきっと………。
 考えたくないことが、頭の中で何度も浮かんでくる。
クは意識せずに、チャオをギュッと抱きしめた。
 と、
「たしかに、同胞のやったことだ」
 華の国の言葉で男は話しかけた。
「えっ?」
 クは、チャオは驚き、男のほうを見る。
「今の時代、敵国の言葉を話す者などいるはずがないからな。珍しがられるのは仕方がない」
 クも、チャオも男が何を言ったか聞こえたし、理解した。
「あなた、言葉を話せるの?」
 クが言うと、
「ああ。だいたいは理解している」
 返事が返ってきた。
「もし、同胞に見つかったら銃殺刑だがな。
まあ、お前たちならそんなこと密告できないだろう」
 男は苦笑しながら言う。
「あ、あなたは………」
「この先は、何もないぞ」
 クが言おうとしたが男がそれを制する。
「大量に人が狩られたからな。村は点在しているが、
何処も機能していない。全てがもぬけの空だ。
水は飲めても、食糧は見つからないだろう。
運が良ければ、未発達の野菜を少しは見つけられるかもしれないが」
 男は、何もない周りを見渡した。
「それとお前、大声を出しすぎだ」
 男はチャオに向かって言う。
「恨み言は構わないが、せめて小さな声で言ってくれ」
 男は再び、周りに視線を向ける。
「兵士が来たぞ」
「えっ!!」
 クの驚きと共に、男が視線を向けている先から、一台のバギーはやってきた。
「多分、さっきの声に気づいたのだろう。よく響いていたぞ」
 バギーはクたちの近くで止まり、そこから2人の陽の国の兵士が出てきた。

『おい!!こいつらだろ!!』
 帽子を被った兵士が、クたちを見て言う。
『あそこで見かけたガキはこいつらしかいなかったからな。間違いないだろう』
 銃剣を持つ兵士が言う。
『どうする?』
 帽子を被った兵士が、銃剣を持った兵士に尋ねる。
『連れて行くに決まっているだろ』
『それは当たり前だ。その前にどうするかって聞いているんだ』
『まあ、犯りたいな。こういうのとやるの、オレ好きなんだよ』
『でも、ここじゃ出来ないな』
『こんなところでやったら、干からびちまうよ』
「車で犯っちまったら、臭いうつるからな』
『何処か、いい場所ないかな?』
『駐留所まで戻ったら、上司に輪姦されちまうからな。その前に楽しみたいな』
 クたちは、兵士たちが何を言っているのか分からない。
しかし、クたちをチラチラと見ているので、自分たちの事というのは何となく理解している。
『ん?おい、あいつ誰だ?』
 銃剣を持った兵士が、コートを着ている男を見て言う。
『あんなヤツ、うちの部隊にはいなかったぞ』
『じゃあ、どこかの部隊を抜け出したヤツか』
『いるんだよな、たまに。敵前逃亡する兵士って』
『だいたいが、民兵なんだよな』
『まあ、どうせ殺すけど、一応尋ねておこうか』
 銃剣を持った兵士が、男に近づく。
『おい、お前。どこから逃げ出した?』
『………』
『おい、聞こえているか?』
『………』
『おい、聞いているだろ!!』
 返事がない男に対して、男が強気な態度で尋ねる。すると、
『どうするつもりだ?』
『……あ?』
『あの2人を、どうするつもりだ?』
 男が、クたちを見ながら言う。
『はぁ?』
 尋問しているのに逆に質問され、
さらにその質問が自分のことではなくクたちのことで、思わず間の抜けた声を出してしまう。
 そのクたちに、帽子を被った兵士が近づいている。
『何だ?お前、あいつらを犯りたいのか?』
『………』
『だけどダメだ。お前はどこかから逃げてきた兵士だろう?そんなヤツには犯らせるわけにはいかないよ』
『………』
『残念だな。死出への土産が何もなくて』
『………』
『まあ、逃げた兵士にはそれなりの処罰ってものが……』
『お前は、彼女たちを犯したいのか?』
『あ?』
『彼女たちを犯したいのか?』
『何言っているんだ?出来ないのか悔しいのか?』
『どうなんだ?』
『いちいちしゃべり方が気に障るヤツだ。もういい、お前殺してやるよ』
 うっとうしく感じ、兵士は手に持つ銃剣を男に向けた。
「………おい」
 男は、華の国の言葉で話し始めた。
「お前たちは、死にたいか?」
 クとチャオにも、男の声が聞こえた。兵士たちは、男が何を言っているのか分からない。
「兵士に、殺されるか?」
 男は、兵士に尋問されたときから顔の向きを変えていない。
そのままの状態で、クたちに顔を向けたまま話していた。
 男はずっと、クたちを見ながら喋っていた。
「生きたいか?」
 クたちはいつしか、男を見ていた。
 クはチャオを抱きしめながら。チャオはクに抱きしめられながら。
「生きたいか?」
 もう一度、男は言う。
 クは、チャオは何も言わなかった。ただ静かに一度、それも小さく、首を縦に振った。
「そうか」
 クたちはその時、男が笑ったように見えた。
『お前、敵国語を話しているのか!!』
 銃剣を構えながら、兵士が言う。
『貴様!!どういうことか分かっているのか!!』
『分かっている』
 パンッッ!!!!
 乾いた音が、突如辺りに響き渡る。
 男は誰も気づかぬ間に、小型中を兵士に向かって構え、発砲した。
 銃弾は兵士の額に命中し、兵士は頭からのけぞって背中から地面に倒れる。
タラリと銃弾が命中した場所から血が流れ出し、数度痙攣をして、やがて動かなくなった。
 その間、兵士は銃剣を話すことはなかった。
『………き!!!』
 パンッッ!!!!
 帽子を被った兵士が男に何か言おうとしたときに、男が発砲した。
弾は、兵士が腰に提げていた銃を取ろうとしていた右腕に命中し、右腕から後ろにのけぞる。
『………痛いか?』
 パンッッ!!!!
『うあぁぁぁ!!!』
 尋ねながら、男は発砲する。今度は右腿に命中する。
兵士は痛みに耐えかねて膝を折り、右手で撃たれた箇所を被せる。
『これが痛いということだ』
 パンッッ!!!!
『あぅぐあああ………!!』
 兵士の胸に、銃弾がめり込む。
『言葉のために、この苦しみを味わなければならない事自体が馬鹿げている』
『あぁぁぁあぁ………!!』
『文句も言えず銃を持たされて、促されて他人を殺すことが馬鹿げている』
『……ぁ………』
『そう思わないか?』
『………………』
 胸を撃たれ、その場にうずくまり、呻いていたが、やがて兵士は何も言わなくなった。
 その様子を、男はじっと見つめていた。
『………ふぅ』
 男は構えていた銃を下ろし、空を向いて一息ついた。

 乾いた風が、身体の水分を奪っているような感じで。
 紅い光が、身体を覆い被さってくるようで。
 無機質な音の原因が目の前にあって。
 2つの命が、近くで絶命している様を見て。
 しかし目の前にはしっかりとした命が有る。
 クは、ただしっかりと、チャオの身体を抱きしめていた。
 手を放したら、どこかに行ってしまいそうに思えて。
それは走って地平線の向こう側に行ってしまうという物理的な考えではなく、
煙のように空の彼方へ飛んでいってしまうような非現実的な考えで。
 1人になるのは嫌だ。そんな思いが頭の中を駆けめぐる。
 ここに置き去りになるのは嫌だ。そんな考えが頭の中でうろついている。
 逃げることなど出来るはずもないのに。そう思いきれば楽になれるのに。
 目の前の現実が、それを許してくれない。

 男は銃を持ったまま、ゆっくりと、クたちに近づいてくる。
 わずかに聞こえる、砂利と靴が擦れる音が、クとチャオの神経に過敏に反応する。
 音か大きくなるのが分かる。だんだん近づくのが分かる。
 見ているのだからそんなことが分かるのは当たり前だが、認めたくなかった。
 銃を持って、こちらに歩いてくる姿が。
 だんだんに近づいてきていることが。
 靴音が少しずつ大きくなっていることが。
 そして何より、結果として殺されるのではないかと思うことがたまらなく嫌だった。
 チャオを見る。見たくて見たのではない。なんとなく顔を向けただけだった。
 チャオはブルブルと小刻みに震えながら、男が近づくのを見ていた。
目をそらすことが出来ないのかも知れない。
そらすのはどういうことをすればいいのかすら、今は分からないのかも知れない。
顔色が青いまま、ただ男のほうを見ていた。
 クは今よりも強くチャオを抱きしめた。
自分の胸にチャオの顔を埋める形で。
チャオはなお震えていた。クはそんなチャオを抱きしめた。
 恐怖。
 それだけが頭の中を、身体の全てを支配していた。
たった一度緊張が弾けるだけで、自分ではどうなるのか想像も出来ない。
 逃げるのかも知れない。叫び続けるかも知れない。あるいは戦うのかも知れない。
 でもその結果、殺されてしまうのかもしれない。
 男がどうするか。自分はどうなるか。自分がどうするか。
チャオはどうするか。ただそれだけが、今の彼女の思考内容の全てになっていた。
 男は再び、始めに2人を見下ろしたほどの距離のところで止まり、そして見下ろした。
 チャオは亀のように身体を屈め、クは1匹でいるウサギのように怯えた目で男を見た。
 男はじっと2人を見ていた。2人は震えていた。
 数分経つ。紅い光が空一面を覆い尽くした頃に、男が口を開いた。
「殺すとは、ああいうことだ」
 それはまるで用意されたセリフのように、無機質な物だった。
「たった一発の銃弾で、人など簡単に死ぬ。儚い存在だ」
 埃の混じった風が吹く。分厚いマントがわずかになびく。男は気にせずに、
「だがそんな虚しい人生を迎えたくないから、人は必死に生きる。
何処でどう死ぬのかも、殺されるのかも分からない人生という世界の中で」
 手に持つ銃を腰に提げ、少し身を屈めると、
「生きたければ来い」
 そう言った。
「距離はあるが、避難所がある。
水や食糧には多少問題はあるが、お前たちがいたところよりは安全だろう」
 男はそっと、チャオの頭を撫でた。
チャオは撫でられた瞬間、ビクッと体を浮かせたが、
やがて男が頭をただ撫でているのに気づく。
優しい撫で方に、チャオはわずかに笑みを作る。
「生きたいんだろう?」
 チャオの頭から手を放し、男は再び2人を見下ろす形で立った。クはこくりとうなずいた。
「じゃあ、ついてこい」
 男が歩き出す。
 それから少しして、2人も歩き出した。
 3人の距離は、一緒に歩くには距離があるが、影を見ると3人をしっかりと繋いでいた。

 男の背中を見ながら歩いて3時間後、クとチャオは月の光が煌々と照らす草原へ辿り着いた。草は男の膝上まで伸びている。
 男は、1つ大きく出っ張った石に近づくと、その辺りを散策し始めた。
何かを見つけたとき、クとチャオに向かって手招きをした。
 2人に、手を繋いでいるようにと指示され、それに従うと、
男はいきなりクの手を引っ張った。
そしていきなり、足下から地面を踏む感覚が消えた。
 どこかに尻から落ちたが、柔らかいクッションがあったために痛みはない。
チャオも同じようだった。
 辺りが暗い。上を見上げると、そこにはわずかな光があった。
どうやらあそこから落ちてきたようだ。
男は草原にあった穴に落ちたのだろう。いや、正確には落ちにいったのだ。
 男は転がっている木に火をつけ、奥に続く通路へと歩き出した。
クとチャオは慌てて立ち上がり、男の後ろについて行く。
 自然に出来た通路のようだが、所々、燭台が存在している。
火は点いていないが、ここは人の手が加えられた場所ということになる。
 やがて、いくつもの通路が点在する地点へとたどり着く。
軽く辺りを見渡すと、男は迷うことなく一番左の通路を歩いていった。
クとチャオはその後ろについて行く。
 チャオが後ろを振り返ると、それぞれの通路の入り口に番号がふってあった。
男はこれを見て、行くべき道が分かったのだろう。
はじめにクたちが通ってきた通路の番号は、「0」である。
 少し歩くと、人がいた。
男はその人に何かを話すと、クたちのもとに駆け寄ってきた。
男性だ。
 大変な目に遭って。でも、もう大丈夫だ。
そう言い、男性はクとチャオを抱きしめた。
 2人から離れると男性は、こっちに寝るところと食べ物がある。 ついてきなさい、と言った。
 クはふと、男がいた方向を向いた。
 しかしそこにはもう、男の姿はなかった。

 クとチャオが案内された場所は、襲撃にあった人たちの避難場所であった。
すべて陽の国の兵士から被害を受けた者たちばかりで、
あらかじめ攻撃を予測し、こちらに避難してきたという人は1人もいなかった。
 はじめに避難所に来た男は、ここから一番近い村の人だった。
兵士たちは家々を襲い食糧を盗み、水場を求めた。
その時に障害と感じた者たちは直ちに殺された。
男は村が攻撃を受けたときに、馬に乗って村から逃げた。
しかし後ろから陽の国の兵士たちが追ってきた。
車で追ってこなかったこと、銃を撃ってこなかったことは幸いだったが、
辺りに障害物や段差が何もなかったのが不幸だった。
どんなに逃げても、どの方向に逃げたかが分かってしまうのである。
 馬から下り、辺りに隠れようとしたときに、不意に誰かに引っ張られ、
この避難所に落ちていた。
 その時に、分厚いコートを着ている男に出会った。クとチャオも出会った、あの男に。
 クとチャオにスープを持ってきた女性は、
2人が住んでいた村とあまり距離がないところに住んでいた。
陽の国の軍隊は、先にその村を襲撃したのである。
 指揮官の提案で、村の女たちが、村の男たちの前で犯される様を見せつけられた。
 女性には想いを寄せていた男性がいた。
男性はよく女性とも話をしてくれていて、
一緒に農作業をしてくれたり、料理を作ったこともあった。
 一度だが、頬に口づけをしたこともあった。
 その男性の前で、二重顎の陽の国の兵士に犯された。
兵士はただ自分の快楽だけをむさぼり続けた。
やがて男は果て、汚い体液を女性の身体にかけた。
 屈辱だった。ただ犯されることも、好きな男性の前で犯されるのも。
女性は何処も見ていなかった。しかし目をつむってはいなかった。
 兵士による女たちへの陵辱が終わると、指揮官が一斉に村人たちへと発砲し始めた。
 撃たれた人の中には、叫んだ人もいたが、叫ぶこともなく死んでいった者もいた。
 辺りが死体だらけになり、地面に水よりも粘性がある紅い水たまりが大きく広がる頃には、
もう動けるのは彼女しかいなかった。
一緒に遊んだ子供も、農作業を手伝ってくれたおじさんも、
恋の相談にのってくれたおばさんも、思いを寄せていた男性も、もう死んでいた。
 そして冷たい感触が彼女の後頭部に感じたときに、遠いところから発砲音が聞こえた。
 そして、兵士たちは慌てながら一斉にその場から逃げ出していった。
 しかし、1人だけ逃げ出さなかった者がいた。指揮官である。
いや、もう死んでいたので逃げ出すということも出来なかったのだが。
 血だまりだけが広がった場所に、1人の男がやってきた。
それが、コートを着た男であった。
 他の人たちも全て、コートを着た男にここに案内された。
 男はなぜ助けてくれたのか、みんな知らない。
しかし、あの男によってみんな生き長らえているのである。
 スープを飲みながら、クとチャオはみんなの話を聞いていた。
少しだけ、もうちょっと生きてみようという気持ちを持った。
生き延びた命を、どう使っていこうかと考えながら。

 陽の国が華の国を攻めてから5年後、戦いは終わった。
 陽の国は、領土も軍隊も大きい自由の国と交戦を開始したときに形勢が悪くなっていった。
華の国に駐留していた兵士たちが、自由の国と戦うために駆り出されていったほどである。
 やがて陽の国から負けを認め、その時に戦いが終わった。
 陽の国の兵士の中には、国が負けを認めたのを知ったときに自殺した者もいた。
持てるだけの武器を持って、虐殺した者もいた。
おとなしく降伏し、華の国の捕虜になった者もいた。
 このときにようやく、無駄な血が流れなくなったのである。

 戦いが終わった後、クとチャオは村の復興に取りかかった。
 村を再建してくれた人の中で、クたちのように村で生まれ、
村で育った人はごくわずかしかいなかった。
でも、クとチャオは一緒になって村を立て直してくれることが嬉しかった。
 居住区が元に戻ってきたときに、クは花を植えることにした。
戦いによって疲れた人々の心を癒すことが出来るように。
 しかし、まず花を見つけることが大変だった。
何処も戦争によって大地が傷ついていたので、大地がやせていた。
生きている花が見当たらないのだ。
 クは村全体をくまなく探した。しかし花は何処にもなかった。
 村を復興している人たちに頼んで、他の場所に花がないか、車で探してもらうことにした。
クだけでなく、チャオも同乗していた。
 しかし他の村にも花はなかった。種もなかった。苗もなかった。
 それでも必死になって探した。しかし花は何処に行っても見かけることはなかった。
 クは村の復興をしながら、花探しを続けた。
その分疲労は蓄積し、体がよろけるほど弱ったときもあった。
 車での移動中、ついうたた寝をしてしまったとき、ほんのわずかの時間の間、クは夢を見た。
 それは花畑だった。辺りを見渡しても花畑があった。その真ん中に、1人の少女がいた。
少女は足下にあった花をいくつか摘み、それをこちらに持ってきて、笑顔でこう言った。
 これで、お花を植えられるね。
 急に目が覚めた。
 クは急いで運転手に、ある場所に行ってもらえるようにお願いした。
 運転手はそちらの方に向かうためにハンドルを切った。

 クが行って欲しいと言った場所。そこは「華の道」だった。
 まるで、お伽話に出てくるような風景だった。
 辺り一面に花が咲き乱れている。ここだけ戦争という事件を知らなかったかのように。
 蝶が舞い、蜂が飛ぶ。その中を、花が心を癒す匂いを放つ。
 クは走った。華の道を走った。同じような風景が、花畑が辺りに見えるだけの道を走った。
 やがて足を止める。足下に何かを見つけたからだ。
 それは袋だった。紐を解き、中身を確認する。花の種が入っていた。
 クはそれを持って、車のところに戻っていった。

 植えた種から芽を出し、やがて花が咲いた。
 花はスクスクと育ち、同時にみんな笑顔になっていった。
やがて種をつけ、それをまた植えるとその種からも芽を出し、花を咲かせた。
 華が育つと共に、みんなから笑顔が増えていった。

 戦争が終わってから10年後、ある学者が見つけた見聞の中に、 このようなことが記されていた。
 −−−−−
 1人の少女が、花を国に与えたいと思い、花を探しに出かけた。
 しかし、花は何処にも見当たらなかった。
 村を全て探しても、街を全て探しても、花は見つからなかった。
 山を全て探しても、川を全て探しても、花は見つからなかった。
 人々は少女と一緒に花を探すことを手伝い始めた。
それは少女を気遣っての行動ではなく、少女と同じように花を与えたいと想ったから。
 ある時、少女はある洞窟にたどり着いた。
 中は涼しく、風も通っている。
その中を、少女は1人で進んでいった。しばらく進むと、光が少女を包んだ。
 道が開ける。と、いきなり彼女の目の前に花畑があった。
 何処を見ても花しか存在しない。少女は嬉しかった。喜んだ。笑った。泣いた。
 そしていくつかの花を摘み、持ち帰ろうとしたとき、1人の男に出会った。
 男は少女にこう言った。
 この場所は、他の者たちに教えてはならない。
 さらにこう言った。
 光を当てないと、花は育たない。ただ花を植えても、花は生きることは出来ない。
 少女はその時、男が何を言いたいのか分からなかった。
 少女は早速、花を植えた。しかしすぐ枯れてしまった。
 少女は1人でもう一度、あの花畑に向かい、花を摘み、もう一度辺りに花を植え始める。
しかしまた枯れてしまう。
 どうしてなのだろう。少女は悩んだ。
 ある夜、少女は夢を見た。
 少女はある道の上に立っていた。道の回りには花畑があった。
道も花畑も、地平線の向こうまで続いていた。
 道を、たくさんの人が歩いていた。みんな笑顔だった。みんな幸せそうだった。
 その時、少女は目を覚ました。
 そのまま、あの花畑に向かった。
 そして、今までと同じように花を摘む。それをそのまま寝床に持ち帰り、鉢に植えた。
 すると、花はみるみるうちに育っていった。
 それを見た人が、私も欲しいと言い出した。少女は洞窟に行って花を摘み、その人に与えた。その花も枯れることはなかった。
 他にも、花が欲しいという人が現れた。少女はみんなに花を与えた。
花は、誰の者も枯れることがなかった。
 少女は思った。この花は人がいないと生きていけないのではないのだろうか。
 花を手にした時点で、その人が育てなければ生きていけない花なのではないのだろうか。
 だから、花は枯れずにすんだのではないだろうか、と。
 やがて人々の中で、この花で花畑を作ろうと提案した人が現れた。
近くに平野があったので、そこに花を植えることに決めた。
人々はすぐにみんなの花を集め、花畑を作った。
みんなが育ててくれたので、花はスクスクと成長し、花畑はドンドン大きくなっていった。
平野はいつの間にか、巨大な花畑へと成長した。
 そこが今の、「華の道」が作られた場所である。
 −−−−−
 後に、国の歴史にも記されることとなる。

 華の国の歴史で、華の国の者が陽の国の者と接触したという事実はない。
「陽が大地を射し華が大地に咲き乱れる」と書かれた書物は存在するが、
一部の学者は、これは陽の国と華の国との関連はない、としている。

 −−−
 陽と華が合わさったとき、心のつぼみは開くことだろう。
−−−
 クが、日記に記した一文である。

 
 −END−


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