★ラムネのキャンディー★


作:狂犬チワワ



 それは夢の中で起こったのか。
 それは現実での出来事か。
 今でもそれはわからない。
 ただわかることといえば、
 私はあの老人に会い、あの老人と知り合い、
 あの老人と時を過ごしたということだ。


 当時、私は十歳だった。
知るということが楽しくて仕方がなかったとき。
それが危ないことでも、知りたいという欲求の前ではちっぽけなものだった。
 たとえば、川遊び。
川は、山に降った雨が上から下に流れることにより作られるもの。
もちろん当時の私はそんなことは知らず、
水が流れるその場所を遊び場にして遊んだ。
川をすくって顔を洗うと気持ちよかった。
川辺の近くの石をどけると、そこには虫がいた。
友達が川の中を走っていたら、
石についた苔で滑って全身を濡らした姿を見て、私たちは笑った。
そのあと私も彼と同じように滑って、全身を濡らした。
そして彼同様笑われた。
滑った彼が今度は笑う立場になり、私は笑われる立場になった。
石をどけると見つけられる虫を餌に、釣りもやった。
川はきれいだったから、釣れる魚もきれいだった。
釣った魚は、家に持ち帰った。
家に持ち帰るまで元気な姿をして欲しかったから、
釣りをするときは絶対にバケツを持って川に行った。
釣った魚は調理された。
お母さんが、時にはおばあちゃんが魚の内臓を取ってくれる。
軽く塩をふって焼かれた魚は、とてもおいしかった。
たとえば、山遊び。
山は、海と並んで生命の住みかである。
木々のはぐくみが、私たちを存在させたといっても過言ではない。
しかしそんなことは当時の私は知るはずもなく、
何があるかわからないその場所に行くことがとても楽しかった。
 木を蹴ると、それにつられるように全身が揺れる。
おもしろく思い、もう一度やるとたまに虫が私の体に落ちてきた。
木々を挟んで、狐に遭遇したときがあった。
狸に遭遇したときがあった。
猪に遭遇したときもあった。
あのときは、偶然猟師がいたから助かった。
同時に猟銃のすごい重音も聞くことができた。
雨が降った翌日は山はとても進みにくかったし、汚れやすかった。
山はおにごっこをするのに絶好の場所だった。
鬼から懸命に逃げるのも、鬼になって懸命に追いかけるのも楽しかった。
でも、友達が足を滑らせて、
たまたま尖っていた木に体をぶつけて怪我をして以来、
山で鬼ごっこをする回数はめっきり減った。少し残念だった。
 知ることは楽しかった。
 でも、知ると悲しいこともあった。
 それが誰にも知られることがないことは、私だけにしか存在しないことは、
少し嬉しく、とても寂しかった。

 偶然友達が用事で一緒に遊べなかったとき、私は一人で山の中を歩いていると、
見慣れない風景の場所にいることにあるとき気付いた。
いつもなら歩いたり遊んだりするときは見たことがある場所だけを選ぶのに、
このときはつい、全く身に覚えのない場所に来てしまっていた。迷子。
そう気付くのに対して時間はかからなかった。
思い切り叫べば、その声に気付いて誰かが助けに来てくれるだろうと思ったが、
私はそれをせず、見慣れた場所に早く出たかったために探索を始めた。
 私は一度、川でおぼれかけたことがあった。そのときは雨が降った後で、
川は増水していた。
もちろんこのときに川に入っても流されることを知っていたので、
私たちは川辺で遊ぶことにした。
しかし誰かがふざけ半分で、私を川につきだしたのだ。
私は川に身を投げ出され、
生命の故郷である海へ向かう濁水と一緒に運び出されることになった。
私は必死に「助けて!!」「助けて!!!」と叫んだ。
途中、川の水が鼻や口に入って声が出せなくなったときもあったが、
私はそれでも叫び続けた。
結果、私は助け出された。
水に飲み込まれる恐怖を思い出し、
同時に母に会えた安心感により泣き出した私を、
お母さんは介抱しながら、
同時に私を助けてくれた人たちに感謝と陳謝の言葉を投げかけていた。
私はお礼を言いながら、人を困らせることの痛さを知った。
 そのため、私はまた母を困らせるわけにはいかなかったので、
叫びたいのを我慢して帰り道を探した。
 それほど経ったのだろう。私は疲れ、近くの切り株に腰を屈めた。
 太陽はまだたいして傾いていない。
しかしまだ見慣れた風景の場所にたどり着いてない。
私には、とてつもなく時間が経ったと思っていた。
 休憩もそこそこに、私は立ち上がって探索を再開した。
 その直後、私は今座っていた切り株と同じような切り株を発見した。
ちょうど立ち上がった先にそれがあり、
奥にも、さらに奥にも同じような切り株があった。
周りの木々はそのままなのに、まるでそれが道を示すように。
 私はそれに興味を引かれ、その切り株の先を進むことにした。
 進んでも進んでも、切り株はなくならない。
こんなところがあるのなら、普通は誰かが知っていてもよさそうなものだが、
友達も家族も、そんなことを言った記憶はない。
 いつしか切り株は終わっていた。
その終わりに、木々を切り取り、替わりに草で覆われたような空間に出た。
その中央には一軒の家があった。
 私はその家にノックもせず入った。
まだ、そのときはノックをすることが礼儀であることはわからなかった。
 中は窓から差し込む光が灯りとして部屋を照らしていた。
その部屋の中央に、
一人のおじいさんが揺りかごのような椅子に座って私を待っていた。
「どうしたんだね?」
 おじいさんは優しい笑顔を投げかけながら、私にそう尋ねた。
「迷ったんです」
 人を困らせたくないから必死に一人で森の中をさまよっていたから、
誰でもそんなこと言うはずはなかったのに、
何故かこのおじいさんを前にしたとき、すんなり口から本音が出た。
「そうか」
 おじいさんは立ち上がり、ゆっくりと外に出る。
私もその後に続く。
「向こうに進めば、君の家が見えるはずだよ」
 と、おじいさんはすっと森に向かって指を指した。

 そこには、私が進んできた切り株の道のように、
切り株が切り取られた道があった。
「ありがとう」
 私はそれだけ言うと、老人に向かって手を振りながらその場を後にした。
おじいさんは、そんな私を笑顔で見送っていた。
 おじいさんの言うとおり、その先を向かっていたら家の前にたどり着いた。
その時にはすでに空は赤く染まっていた。

 就寝時、私はあの老人のことを思い出した。
 一度も足を踏み入れたことがない場所なのだから、
あの老人と会うのも今回が初めてだ。
しかし、私はどこかであのおじいさんと出会った気がしてならなかった。
 家族と話そうとしたけれど、また親を困らせたくなかったから、
何も言わなかった。
お父さんに今日はどこに行ったかを尋ねられたとき、
遊んできたとだけ言った。

 数日後、私は友達との遊びの誘いを断って、
下校の途中に私はお菓子の袋を片手に再びあのおじいさんに会いに行くことにした。
お菓子は、迷子になったときに助けてくれたお礼だ。
 迷子になって以来、もう一度私は山に入る。
また迷ってしまうのではないかという
不安感とおじいさんに会いたいという気持ちを抱きながら進むと、
また、あの切り株の場所にたどり着いた。
 切り株に沿って進むと、あの老人が住む家を見つけた。
 その日はおじいさんは外にいた。初めて会ったときと同じように、
揺りかごのように揺れる椅子に座りながら、私を迎えてくれた。
「今日も迷子かね?」
 おじいさんは優しい笑顔で尋ねてくる。
「いえ、今日は、おじいさんにお礼をしたくて来ました」
 そう言いながら、私は袋に入っているお菓子を取り出し、
それをおじいさんに差し出す。
「はい」
「おお、ありがとう」
 おじいさんは本当に嬉しそうに、私が差し出したお菓子を受け取った。
ラムネのキャンディーだ。
当時の、私のお気に入りのお菓子だった。
 おじいさんはそれを口に入れると、口をもごもごと動かしながら、
「おいしいね」
 笑顔で話しかけてくれた。私はそれが嬉しくて、もう一つ差し出した。
おじいさんはありがたく受け取ってくれた。
 私は夕方になるまでおじいさんと一緒にいた。
 ボールを使って遊んだり、トランプを使って遊んだり、
そういうことはしなかった。
ただ一緒にいて、他愛のない会話をする。
でも私は楽しかった。おじいさんも楽しんでいた。
 帰るときには、袋のお菓子は私とおじいさんが食べたためになくなっていた。

 ある日、私は友達と遊んだ後、駄菓子屋に立ち寄ってからまた山に入った。
この日は授業は午前中に終わり、その後は友達を遊んでいた。
日はそろそろ沈む頃だったが、少しくらいならいいだろうと、
私はおじいさんに会いに行くことにした。
 私はまた、あの切り株のところに来た。
どうしてかわからないが、この切り株のところは印を付けなくても来ることができる。
しかし、そんな疑問よりもおじいさんに会えることが嬉しかったため、
そんなことを考えることはなかった。
 おじいさんは家の中でお茶を飲んでいた。
私が家に入ると、おじいさんはお茶の入ったコップを渡してくれた。
少し熱かったが、たくさん遊んできた私はそれをありがたくいただいた。
のどに潤いが戻る。
飲み終え、私はお菓子をおじいさんに差し出すと、
おじいさんはそれを受け取り、早速食べてくれた。
また、ラムネのキャンディーだ。
 この日も、短い時間ではあったけれど、おじいさんと何気ない会話をした。
国語の時間で新しい漢字を覚えたとか、
算数の時間でたくさんの問題を解いたとか、
図工の時間で花壇の花を描いたとか、体育の時間で縄跳びをしたとか。
 辺りが暗くなり、木々の向こう側が見えにくくなってきた頃、
おじいさんはこんなことを私に尋ねてきた。
「君は、ここのことを誰かに言ったかね?」
 私は首を横に振って答えた。このことは親はおろか、友達にも言っていない。
親に言えば、迷子になったことで困らせるかもしれなかったし、
友達には、私一人だけの隠し事として取っておきたかったからだ。
「そうか。それじゃ、これから私と会うときに約束して欲しいことがあるんだ」
 言いながら、おじいさんはランプの灯をともす。
すると、さっきまで暗かった家の中が暖かな光に照らされた。
「私のこと、この家のこと、そして切り株のこと、誰にも言ってはいけないよ。
もし言ってしまえば、君は私に会えなくなってしまうからね」
 優しい笑顔で、頭をなでながらおじいさんは言った。
私は、またおじいさんに会いたかったからそれを承諾した。

 私はそれから、ことあるごとにおじいさんと会っていた。
 時には学校の帰り、時には休みの日を使って一日中、
私はおじいさんと時を過ごした。
 そしてこのことを、老人のことを、切り株のことを誰にも言うことはなかった。
 しかしただ一度だけ、このことを言ってしまったときがあった。

 老人と出会ってから数ヶ月後、私はお父さんの事情で引っ越すことになった。
 今まで仲良くなった友達と離れるのはとてもイヤだったけど、
お父さんの必死な顔と悲しそうな顔を見ると、イヤと強く言えなかった。
お母さんも、寂しそうな顔をしていた。
 引っ越しの作業が進み、あと少しで馴染んだ土地を離れようとしていた頃、
私はおじいさんのことを思いだした。
 もうあのおじいさんと会うことはできない。
だからサヨナラの挨拶をしておこうと思い、
引っ越しの準備の時には行くことがなかったあの山へ行くことにした。
 私は自分の財布を持ち、出かけることにした。
 出かける私を、お母さんは呼び止める。
夕方、出かける子供を呼び止めるのは当然だろう。
「どこへ出かけるの?」
と尋ねられ、わたしは、
「おじいさんのところに行って来る」
 そう言い、私は駆け出した。
 駄菓子屋で、
もう味わうことがないと思ったラムネのキャンディーをたくさん買い、
それを袋に詰め、おじいさんが住むあの山に向かった。
 日が沈みかけ、山は一つの迷宮のようだった。
だが私はおじいさんに会いたくて、その暗闇が覆う山の中を進んだ。
おじいさんの家の目印となっている、あの切り株を目指して。
 しかし、いくら進んでも切り株は見つからなかった。
似たような風景だけが、私の視界にはいるばかりだ。
 進む。ひたすら進む。
おじいさんに会いたくて、おじいさんの家に行きたくて、
おじいさんの家の目印となっている切り株を見つけたくて、私は進む。
 それは、私はこの山で迷子になったときと酷似していた。
 やがて日は沈み、私の周りは完全な闇が包んでいた。
ライトを持っていないから、辺りを照らすものは一つもない。
私は恐る恐る、おじいさんの家を目指して進んだ。
 目が闇に慣れても、木々はシルエットとしかとらえられない。
まるで絵本の世界だ。そんなことを思いながら、私は進んだ。
 どれほど進んだのだろう。どれほど経ったのだろう。
私は疲れていた。空腹もあった。
それを抑え、額にかいた汗を拭って、私は歩いた。
 どこを歩いているのだろう。どこにいるのだろう。
私は希望と絶望を抱きながら、ただただ歩いていた。
 私は耐えられなくなり、近くの木の下で休憩することにした。
足が痛かった。
私は駄菓子屋で買ったラムネのキャンディーを口に入れる。
キャンディーの甘さが口全体に広がり、ラムネの炭酸が口の中ではじける。
おいしかった。
 再び歩き始める頃には、キャンディーはだいぶ減っていた。
あとはおじいさんにあげる分と決め、私は再び山の中を歩き始めた。
 山の中は静かだった。
鳥の声も動物の声もしない山の中は、神秘というより不気味だった。
声を出さない何かが潜んでいるような感じがして、怖かった。
 私が葉っぱを踏みつけるときに出る音以外に聞こえてくる音は何もなかった。
 木々の間をぬって射してくる、うっすらとした月明かり以外に光はなかった。
 私はそれらを感じながら、おじいさんの家を目指して進んだ。
 いい加減休みたかった。
家に帰って、お風呂に入って、布団に入って休みたかった。
 でも、先におじいさんに会いたかった。
会って、ラムネのキャンディーを渡して、お別れをしたかった。
 だから私は歩き続けた。
どれほど進んでも、どれほどの時が経っても、私は歩くことをやめなかった。
 しかし、おじいさんの家を見つけることはできなかった。

 私は明け方、
公園のベンチで寝ているところをランニング中のおじさんに発見された。
私は警察や、お父さんとお母さんに何故あそこにいたのか尋ねられたが、
私自身、何故あそこにいたのかわからなかったので、わからないと答えた。
しかし警察も、お父さんもお母さんも、同じ質問を何度も繰り返した。
私は本当にわからなかったので、わからないと答え続けた。
 そんなことよりも、私はおじいさんに会いたかった。
 会って、まだ渡していないラムネのキャンディーを渡したかった。
 しかしそう思っているときに、
握っていたはずのラムネのキャンディーが入った袋がないことに気づいた。

引っ越しは取りやめになった。
そろそろ今いる場所から離れる時期になったとき、
急にお父さんは「引っ越さなくてすむぞ!」といいながら、私を強く抱きしめた。
お母さんは喜んでいた。喜んで、泣きそうな顔でお父さんを抱きしめた。
 私も泣きたかった。
でもそれは、引っ越しをしなくてもいいということではなかった。
 おじいさんにに会えなくなったことだった。
 引っ越しが取りやめになった日も、私は山に入っておじいさんを捜した。
しかし、おじいさんを見つけることはなかった。
 あれから私は明るい時間に、山の中に入って老人を捜し続けた。
しかしおじいさんはおろか、おじいさんの住むあの家も、
おじいさんの家への道標のあの切り株も見つかることはなかった。
 いくら捜しても見つかることはなかったが、
私はあきらめきれず、何度も見たことがあるような場所を探し回った。
 疲れ、額の汗を拭ったとき、足下に何かが転がっているのに気がついた。
 それはラムネのキャンディーだった。
 私が落としたのかもしれない。
そう思う前に、私はあのおじいさんのことの言葉を思いだした。
「私のこと、この家のこと、そして切り株のこと、誰にも言ってはいけないよ。
もし言ってしまえば、君は私に会えなくなってしまうからね」
 そうか、私は引っ越しの準備がある程度すみ、
出かけるときにお母さんに行ってしまったんだった。
「おじいさんのところに行って来る」と。
 私はひざをついて、泣き始めた。
 泣き声が、山の中を何度も何度も反響する。
しかしそれに応えてくれる者も、気付いてくれる者も現れることはなかった。
 私は泣きやむまで、ずっとずっと、その場で泣き続けた。
 自分のしたことへの後悔、おじいさんに会えなくなったことへの悲しみ、
その二つを感じながら。

 それは夢の中で起こったのか。
 それは現実での出来事か。
 今でもそれはわからない。
 ただわかることといえば、
 私はあの老人に会い、あの老人と知り合い、
あの老人と時を過ごしたということだ。

 あの老人と会ったからこそ私は今を生きている。
 あの老人と会ったからこそ私はここに立っている。
 溶けるような甘さと弾けるような炭酸を感じられる、
ラムネのキャンディーと共に。


 −END−


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